<望月医院の歴史>


当院の歴史は昭和35年(1960年)5月、当時の新興住宅地であった東京都日野市多摩平六丁目の現在地に、管理人の亡父である前院長の望月修が小児科・内科・レントゲン科を標榜する診療所を開設したことから始まります。左の画像は当時のチラシですが、住所の名称も現在の多摩平六丁目31の4ではなく39街区の2となっています。周辺の施設として「チトセヤ」さんは現在はもうありませんが、日野自動車、ガソリンスタンド、小学校、バス停は同じ場所に現存します。

現在の風景とは全く違った当院の周辺です。背景の小学校にも現在あるような物々しいフェンスが無く、当院の前にある公園も植樹されて間もない空き地のような状況のようです。

開院当時の正式名称は望月小児科だったようです。当時の診療所兼住宅は平成10年に取り壊され、全面的に建て直されたため、昔の面影は無くなってしまいました。左写真で一番小さいのが管理人です。自分が青森県人だった時代に診療スペースを縮小して建て替えているので、現在の診療所は昔と比べれば相当狭いです。日野市で一番狭い医療機関かも知れません。